後援会だより97ー5


新潟とマグデブルグでの夏の学校

工学部国際交流委員会委員長 合田 正毅


 

初 め に

昨年の9月に、ドイツのマグデブルグ、オットーフォンゲーリック大学(以下マグデブルグ大学)より学生17名を新潟大学に招き、「日本の文化と科学技術」をテーマとする夏の学校を工学部主催で開催しました。本年はその返礼を兼ね、マグデブルグ大学で夏の学校が準備されており、工学部より15名の学生(大学院自然科学研究科の工学系学生を含む)を派遣する予定となっています。 国際化の振興が国策として云われて久しく、受け入れる留学生の数も着実に増え、研究者の交流も盛んになりつつありますが、本稿では、工学部が推進している、短期の学生受け入れと派遣に付いて述べてみます。

学生にとっての国際交流とは何であろうか? それは現在の日本の社会自身が国際化の方向に向かっており、海外との交流や交渉を日常的に行うことが不可避な情勢になりつつあることへの対応であると考えられます。私ども古い世代が8年間も英語を学びながら国際化に順応出来ていない現状を見るとき、若い頭脳は熱いうちに打つ必要があります。20才代の若い感性と頭脳が異なる文化圏と直接接触する時の衝撃の強さは、テレビ、映画、パンフレットや観光等による情報がいかに満ち溢れていても、依然強力であり、若者の心の扉を一挙に開いてしまう力を持っています。

経 緯

 マグデブルグ大学は新潟大学工学部との交流実績を持ち、1994年には学部間の協力協定に調印しており、1996年には新潟大学との大学間の協力協定を締結した。この間、多数の研究者の往来があり、二年に渡りドイツ日本科学週間がマグデブルグ大学で開催され、5名の研究者が招待され、奨学生のプレゼントもあった。しかし、日本(工学部)側は国際交流の為の財政基盤が無いまま、苦しい対応を続けて来た。この時期に先方より新潟での夏の学校開催の打診があった。研究者の往来は盛んになってきたが、留学生の交換はほとんど無い。幸い、日本国際教育協会が夏期短期講習会の開催支援をしていることから、是非この企画に乗り新潟に短期留学生を招待しようと1994年に工学部が動き出した。学生派遣の持つ意義はマグデブルグ大学側が熟知している様であった。もっとも、企画、財政、大学の宿舎やホームステイの確保、他学部及び学外の講師陣の確保、一ヶ月間の運営体制等全てに未経験で困難な問題を抱えており、大学改革期の多忙の中で企画運営に携わる教官の過重な負担も問題であった。財政に関しては、国際教育協会からの支援があり、又その支援でカバー出来ない項目に付いては後援会からの補助を頂き、おかげ様で金策に走り回らなくて済み、大変助かりました。

「新潟夏の学校1996」の開催

理工系の学生向けとはいえ、その国の文化を語らなければ若者の魂を揺り動かせないので、テーマは「日本の文化と科学技術」としました。授業の半分は日本語日本事情と日本文化とし、1/4 は日本の科学技術及び関連する研究室の見学、残りの 1/4は県内の工場や公共施設見学とした。更にエクスカーションを兼ね京都への小旅行を計画した。学内の教官の熱い支援を得て、ホームステイも全宿泊の半数近くを確保出来ました。

9月4日になり、学生17名と引率教官1名が五十嵐キャンパスにやってきた。学部生(日本での修士課程をも含んでいる)と云うことであるが皆大きく大人びており、英語もかなり理解し、生き生きとした反応があった。学生は気力旺盛で、サッカーをしたい、テニスをしたい、水泳をしたい、友達を作りたい等と云ってはそこまで考えていなかった我々を戸惑わせた。最初の一週間、実行委員はよろず相談員の如くであった。やって来たのは生身の人間であった。彼(女)等は、自立心、個性、判断力があり、なによりも生き生きしており、日本の学生の自我の未成熟が云われる時に、まぶしく見えた。当の学生達とこの事を議論したところ、それは教育制度の違いによるとのことであった。日本のように一様にエスカレーターに乗って大学にいくわけではなく、職や兵役に就いたり、ボランティヤ活動に従事したり、他の大学や高等専門学校を修了したり、多様な経歴を持った学生が勉学への意志と目的を持って大学に入学して来ており、動機のあいまいな学生は容易に脱落して行くのだそうである。事実、卒業して行く学生は入学生の半分に満たないようです。大量に留年してもそのほとんどがなんとか卒業して行ける日本の大学の現状とは極端に違う厳しさがうかがえます。

夏の学校の新潟開催が日本側の学生にもメリットと成るように、学生を(薄給)アルバイターとして雇い、学生同士の接触の機会を作った。しかしこの目論見は、親の心子知らずというか、連絡網が混乱し、世話役の教官が悲鳴を上げる結果となった。一方、研究室単位で接触したところは、ずいぶん盛り上がったようでありました。

「マグデブルグ夏の学校1997」への学生派遣

いよいよ本年、我々がマグデブルグ大学に15名の学生を派遣する予定となりました。期間は8月末よりの約3週間であり、テーマは「ドイツの科学技術と文化」です。内容は先の「新潟夏の学校」の内容に似ています。引率教官を二人付ける予定です。この機会を生み出すために工学部は努力を重ねてきたのでした。ドイツ滞在費はドイツ側負担ですが、国際航空運賃、保険、日本国内旅費等々は日本側負担であり、基本的には学生の個人負担となります。授業科目「ドイツ語入門」ではみっちり鍛えられそうである。しかし、自分の大学で1年かかっても得難いものを3週間で少しは得てくるのではないかと期待されます。ワークショップで大学の研究室に(多分)入ることにより、自分達が今まで見ても気づかなかったものを多く発見するでしょう。又ドイツ産業の一部を見学することにより、彼等が日本に強い関心とライバル意識と日本なにするものぞとの強いプライドを持っていることを感じるでしょう。そして週末には、市の誇る中世の建造物や郊外の美しい古都等に出かけ、美酒に酔い、異なる世界との出会いや人と人との出会いに魂を揺すられることでしょう。

この計画は今歩き出したばかりであり、派遣学生の人数も少なく、多くの学生の希望に添うに充分ではありませんが、この学生派遣計画が順調に達成され、今後大学の教育の一環となるように発展して行くことを期待しております。この種の事業への御父兄の皆様のご理解の一助となれば幸です。